Posts Tagged ‘カルト’

うへあ

火曜日, 8月 8th, 2017

皆大好き金の玉神殿でお馴染み、復古神道界の巨星こと川面凡児の著作をデジコレで拾って読んで、あまりにもストレートに「世界を日本が感化すべし」と主張していたので、のけぞってしまった。まあ、感化といっても、単純に世界を日本化するというのではなく、日本文化の美徳や美意識を徹底的に磨き上げた上でそれを世界に広めなければという主張で、どの国も自分たちの文化を大事にして、それを広める努力をするのが当然であるという大意だったので、ある程度納得はしたんだけどね。

とどのつまり、蟲毒の逆証。壺の中に毒虫やら蛇などの小動物を詰め込んで争わせ、最後まで生き残った動物を凶物としてまじないに使うのと逆で、世界中の文化が、こぞって自分たちの美徳を競い合えば、最終的に残ったものこそが、究極の文化たりうるという考えなんだと思う。そうするためには徹底的に自己考察し、倦まず弛まず向上に努める必要がある――というあたりまでは受け入れることには抵抗はないんだが、そこから先の凡児ワールドがなんとも。トラブルはごめんこうむるので詳細は書かないがごにょごにょごにょ。肥田春充にしても、九鬼翁にしても、凡児にしても、人というのはどんなに傑出しても生きて暮らした時代の価値観から脱却することは出来ないのねと痛感せざるを得ない。私も昭和の時代の感覚をいまだにかなり引きずっているもんな。軌道修正する気もないし。

昔のムーの特集記事では、神通力を極めた超人として紹介されていたんだけどね。あの雑誌は基本的にネタ帳で、書かれていることの九割九分を割り引いて読まなければ真実は見抜けないという事実に気づけずじまいだった子どもの頃の私は、ド直球で受け止めて信じたものよ。なんせヒランヤとか喜んで買っていたしさ。

斯界に名を残すほどの人だから、私では容易に太刀打ちできないほどの品格なりカリスマ性なりがあったんだろうし、原文そのままではないが、「いかに偉大な精神文化を誇る我が民族とといえど、他の宗教を信じる民族同様、驕れば神から見捨てられる」と戒めのことばを残しているし、カルト的な面白さを求めるのは筋違いだというのは理解しつつも、頭の中から「金の玉神殿」のステキすぎる響きが三十年近く消えなくて困るでござる。どうせならそこでラグビー部とか柔道部とか集めてジムノペディア開催したらいかが? そんなイベントがあったら行くわ。半引きこもりの重い腰を上げて。

某カルト教祖のポスターを見た

日曜日, 7月 30th, 2017

西日本新聞とも深いつながりがある某カルトの教祖のポスターが、JR九州の電車内にも貼ってあった。日帰りで神戸まで行って、移動疲れしているときに見たもんだから、疲労感が倍増。カルトがらみの団体とスポンサー契約を結んだ某サッカーチームにしても、西日本新聞にしても、それから今回のJR九州にしても、何を考えているのかしらね。そういうことをするから被害が拡大するのよ。実質的な母体である教団の活動に、社会的な免罪符を与えているに過ぎないことに、さっさと気づくべき。

君子危うきに近寄らず。くわばらくわばら。

先日は

土曜日, 6月 10th, 2017

国道沿いで、大量のキャベツを散乱させた京都の運送会社のトラックを見た。その時は急いでいたため、大変だなあと思いつつも、手伝わずにそのまま通り越したが、今日遭遇した某キリスト教系カルトの集団は、通り越そうにも通り越せず、憤懣やるかたなし。だってあんた、限界集落の我が家の近所を、二十数人で練り歩いていたのよ。住んでいる人間より多数のカルト信者が、金太郎飴みたいに同じスタイルで、パンフレットを入れたバッグを肘掛けにして、日傘を差してのそのそ歩いて。あの人たちって、男女を問わず、遠めに見ても「あ」と瞬間的にその置かれた立場を理解できるのよね。近寄っちゃあいけないと、視覚からして危機を覚える。しかも我が家からすぐ近くの曲がり角のカーブミラーの下でたむろして、周辺でもそもそして、何かしらミーティングをしていたようで、全然その場所を動かない。昭和の暴走族より質が悪いわ。

くわえて、父が事前に連中を見かけて、慌ててカギをかけて居留守を使っていたせいで、私は別に何もやましいことはしていないのに玄関から入れず、仕方なく別棟に避難。敷地内を許可もなくうろつかないでほしいわね。さすがの私も公道を歩くなとは言わない。だけど、庭には入るな。ご近所の私道を通るな。玄関まで足を踏み入れるな。いちいち断るのもうっとうしいのよ。パンフもらっても捨てるしさ、どうせ。宗教の自由は自分の家でだけ堪能してちょうだい。よその敷地で勝手なことすんな。

きー。